『BS世界のドキュメンタリー<シリーズ アラブ世界 変革のうねり>「非暴力革命のすすめ ~ジーン・シャープの提言~」』「「社会的義務を放棄する」「不買運動を起こす」「芸術を通して抗議する」「選挙に行かない」「法を無視する」・・・。ジーン・シャープ博士が提唱する非暴力革命の方法は、198に及ぶ。自分の考えを後押ししてくれた物理学者のアインシュタインに敬意を表し、30年前、その名をつけた研究所を設立。アフガニスタン出身の若い女性のスタッフとともに、80歳を過ぎた今も戦略的非暴力論の研究を続ける。番組は、シャープ博士やヘルベイ大佐へのインタビューや、民主化運動のリーダーたちの証言、そして現代の非暴力闘争の歩みを映し出す貴重な資料映像で、世界の影響を与えてきたシャープ博士の非暴力革命の全貌を描く。」
政治学者、ジーン・シャープの著書 「独裁から民主主義へ」 は、南極大陸を除く5大陸で、およそ30言語に翻訳されている。 近年、世界で起きた革命には、シャープの提言の影響が現れている。 「色とシンボル」 「英語のスローガン」 「市民的不服従」 「非暴力闘争の誓い」 など、シャープの本には、 「非暴力闘争」 の方法が198通り載っている。 「198の方法は、広く知られています。 驚くほどの反響があるようです。 単純に具体的な攻撃方法が書いてあります。 例えば、大規模な不買運動や政府の命令や法律の市民的不服従。 それに抗議行動です。これは、軍事力にも匹敵しますが、軍隊とは違う銃や爆弾を使う闘争です。 しかし、人類は、そういう方法を取らず、暴力と戦争を繰り返してしまいます。」
1983年、シャープは、 「アルバート・アインシュタイン研究所」 を設立。 独裁国家に生きる人々が、シャープの助言を求めここを訪れる。1953年、シャープは、朝鮮戦争の懲役を拒否し、刑務所に拘留された。
「9ヵ月と10日、あの時の経験が役に立ったとは思いません。 常に自分に正直でいたかっただけです。 その気持ちを仕事でも、持ち続けていくことが重要だと思っていました 。アインシュタインに会ったことはありませんが、手紙で自分が刑務所に入る理由と、 "ガンジー"に関する本を書いたことを伝えました。 "ガンジー"の非暴力闘争において、3つの事例を分析したものでした。 アインシュタインは、そんなことは知らなかったが、私もあなたの意見を強く支持すると返事をくれ、更に、本の紹介文まで書いてもらいました。」
「政府の権力の源を特定することができれば、独裁政権が何に依存しているかがわかります。 それは何らかの正当性だったり、大衆の支持かもしれません。 政府が市民の服従や組織の協力によって成り立っているとすれば、やるべきことは極めてシンプルです。 政府から、そういった権力の源を奪えば良いのです。 政権を弱体化させ倒すことができます。考えにいたった時は、胸を撫でおろしましたよ。お陰で理論構築できたのですから。」
「非暴力闘争は、武装闘争と言えます。 暴力を擁護し正当化する者たちから武力闘争という言葉を取り戻さなければなりません。 非暴力闘争に使用するのは、心理的武器。 そして、社会的、経済的、政治的な武器です。 これは、最終的に抑圧や独裁に対し暴力より大きな力を発揮します。」
"ボブ・ヘルベイ(軍の上級研究員)"は、シャープが、ハーバード大学で教鞭を取っていた頃に出会った。 「ベトナム戦争(勲章を授与)で、人殺し以外の解決策が必要だと痛感したのです。」 1992年、ヘルベイは、ミャンマーの反政府体制キャンプを訪れた。 そこで、シャープの理論を話した。 すると、 「なぜ、その方法に、20年も気づかなかったんだ。 ビルマ(ミャンマー)の人々が、民主主義へ移行できる方法を書き記してほしい。」 と頼まれた。 それが、きっかけとなり、シャープは本を書いた。
1989年、天安門広場、中国全土で抗議行動が起こり、大勢の人々が殺された。 「天安門広場のデモは、計画性がなかった。 思いつきで行動した方が、より効果があると思うのは間違いです。 自分の行動をしっかり把握していないと大きなトラブルに巻き込まれやすいのです。」
2000年、セルビアでは、長年に渡り、ミロシェビッチ政権が圧制を行ってきた。 首都ブタペストの反政府運動 「オトポール」 のリーダー、 "スルジャ・ポボビッチ"は、非暴力闘争の提言が、たった1冊の本に、理路整然と書かれていること自体に驚いていた。
○戦略を立てよ
○細分化に負けるな
○支える柱
○暴力に抵抗せよ
○政治的柔術
○諦めるな
「オトポールのTシャツを着ているだけで逮捕すると警察官が責められます。 組織的な弾圧はやりにくくなります。 政府は、幾つかの柱によって支えられています。 柱の一つ一つを弱体化させる戦略を立てました。 柱とは、警察や宗教団体など何らかの施設です。 柱が弱り崩れたら政府も壊滅します。 しかし、柱は壊さないで民主化運動へ移行するのが理想です。」
「オトポールは、まさにそれをしたのです。 警察も被害者だと訴えた。 この作戦は大成功でした。 グルジアでもウクライナでも上手くいきました。 警察官に石を投げても無意味だということです。」
「列の先頭に女性を並べるのです。 退役軍人も効果的です。 警察官には、親しみが感じられる顔ですからね。 こうした人々が、花や横断幕を手にし微笑みかけます。 できるだけ威圧感を与えないで暴力的な結末になる確率を最小限に下げるのです。」
「突発的ではなく計画的な戦略、10年間に渡る試行錯誤、オトポールの抵抗運動があったからこそ、大統領選で、ミロシェビッチを退陣に追い込むことができたのです。」 大統領撰の開票日、人々は、連邦政府ビルを占拠し、ビルになだれ込み、不正投票用紙を窓から投げ捨てた。 セルビアの革命は、グルジア、ウクライナへと波及。 さらに、イランなどの周辺国に伝わった。
ウクライナの 「オレンジ革命」 のリーダーだった、 "ウラジミール・ビアトロビッチ"は、シャープの本をもとに非暴力闘争の戦術を活動家たちに説いた。
"ジァミラ・ラキープ"は、シャープの事務所で10年近く働いている。 「シャープの本は、一万人ほどの人にしか知られていないとしても、その理論は、彼の存在すら知らない数十万人の人々によって実践されているのです。 本だけでなく論文も出ています。 インターネット上でも読むことができます。 誰にも止められない勢いで広まっているのです。 その一方で、この理論の信用を傷つけようとする人たちもいます。 ベネズエラのチャベス大統領は、私たちのことを"ベネズエラのことを何も知らない田舎者"と言いました。 確かに、ベネズエラのことは十分に理解していないかもしれませんが、私は田舎者ではありません。」
イランでは、2008年にこう報道された。 「ジーン・シャープは、市民的不服従とビロード革命の提唱者だ。 しかし、その正体は、他国をアメリカの思想で侵略するCIAの工作員なのだ。」 「私たちは、アメリカ政府と話す機会さえありません。ここで研究をしているだけです。 政府とは何の利害関係もありません。CIAの工作員だなんて有り得ません。とても皮肉な話ですね。」
「体制側が市民を無残に殺害すると"政治的柔術"というプロセスになります。 効果的であるはずの武力は、かえって人々の支持を遠ざけます。 そして多くの人々が抵抗勢力に動員され体制自体が弱体化するのです。」
イランで起きた 「緑の革命」 の最中、ジャーナリストの"イアソン・アサナシアディス"は、スパイ容疑で逮捕された。 PCに、ジーンの本のペルシャ語版が入っていたからだ。 政府側は、 「私たちは皆、この本を読んだ。 この方法に従えば正当な政府でさえも転覆させることができる。」 と言った。 抗議デモを組織した人々は、シャープが提唱する198の方法のうちの100以上を実行した罪に問われた。
「オトポールもまた自分たちの力で成功を治めています。 どれほどの達成感が味わえるかわかりますか? だからこそ、この手法を広めることが重要なのです。 アメリカには、どの国も占領する権利はありません。 政府を変えようとする国民が存在するなら、その人たちに任せるべきです。 私たちは、そのために必要な方法を伝えればよいのです。」
2011年、エジプトの首都、カイロで革命が起きた。 反政府派の活動家たちは、何年も前から戦略を練っていた。 その一つ、 「ケファヤ」 のリーダー、 "アハマド・マヘール"は、2006年に、シャープの事務所を訪ねている。 その5年後には、セルビアの元革命家たちが、新しいグループを要請。 さらにイスラム原理主義ムスリム同胞団は、シャープの理論をアラビア語でウェブサイトに掲載し革命の準備を整えていた。 そして革命の引き金は、チュニジアで引かれた。

「言うまでもなく、あの革命は、ジーン・シャープの理論に大きな影響を受けています。 しかし、それだけではなく、私たちは、インターネットも活用し効果的な非暴力闘争を扱った書籍や映画を入手しました。 そこから大きなヒントを得て反政府デモを決行したのです。」
ソーシャルネットワークのテクノロジーが大きな役割を担った。Face Book、スカイプなど。 イスラム教徒とキリスト教徒は、お祈りの時間になると交代して護衛しあった。 エジプトのムバラク大統領は退陣を表明した。


シリアの"オサマ・モナジェント"は、隠しカメラの映像をライブでストリーミング配信するサイトを立ち上げている。 オサマもまた、シャープのもとを度々訪れている。 2011年夏、 「チュニジアやエジプトから、一つ学べることがあるかもしれません。 それは、大きな間違いだったと声を大にして言いたいです。 彼らは、支配者は辞めなくはならないという考えのもとに行動していました。 しかし、辞める必要はないのです。 支配者を支えている柱を全て取り去ってしまえば支配者は倒れるしかありません。 つまりこれが、非暴力による強制と崩壊の違いです。崩壊すれば、独裁者の後継者になるような人間を1人も残さずに済むのです。」 「アインシュタインが物理学の天才なら、ジーン・シャープは、自由を達成する方法を編み出す天才です。」

「いずれは、ジーン・シャープの名前を知らない人は、いなくなると思います。 彼の本は、世界中全ての図書館に置かれるはずです。 シャープは言うまでもなく私にとって心の師ですが、私だけではなく沢山の人々に対して指導者の役割を果たしてきました。 彼は、人生の大半を捧げて抑圧された人々に、自分の力で自由を獲得できる方法を教えてきました。その行動は、世界を変え、これからも変え続けるでしょう。 それは、愛のなせるわざということです。(ジァミラ・ラキープ)」


「世界中の人々に知ってもらうことで、テロとの戦いを続ける必要は無くなります。 人々が圧制から解放される手段として、テロリストになる道ではなく、非暴力闘争を選ぶからです。 世界中の政治体制が変わるかもしれません。 私は、ジーン・シャープ、これが私の夢です。」
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