『ホテル時間旅行 タンジュンサリホテル ~インドネシア/バリ島~「華の岬にて/My Hotel is my living」』
』「「華の岬」インドネシア語で「タンジュンサリ」。ところがお寺の近くに同じ 名前のバンガローホテルに出会う。そこは欧米のセレブたちから愛されてきた隠れ宿的なバンガローホテルだった。ミックジャガーやデビットボウイ、オノヨーコ、イングリッドバーグマン…。タンジュンサリを愛した有名人は数知れない。創業は1962年。ところが今まで一度も宣伝のような事はしてこなかった…。ホテルを巡るうちに、バリの観光地としての歴史を知ることになる。」
1930年代から、欧米のセレブたちから愛されてきた歴史あるリゾート。 創業以来、いっさい宣伝しないにも関わらずセレブたちを魅了してきた隠れ宿、 「タンジュンサリホテル」。 写真に刻まれた祖父の記憶に導かれ、そこで出会ったのは、今もホテルに生き続ける"持て成しの心"だった。
「気温は、30度を軽く超えている感じ。何故ならここは、インドネシア、バリ島だから。」 日本から7時間。 バリは、首都があるジャワ島のすぐ東隣。 「華の岬」 インドネシア語で 「タンジュンサリ」 は何処かと人々に尋ねると、 「ビーチと言やぁ、クタだろう。」 「それは、サヌールだよ」 など、色々な答えが返ってきた。 ようやく正しい場所に辿り着くと、そこは 「お寺」 だった。
大きな木に沢山のプルメリアの花が咲いていた。 中に入ると、 「バー」 があったのでカウンター席に座った。 バーテンダーは、民族衣装のバティックの頭巾を巻いている。
「お勧めのカクテルは?」 「グリーン・ブリーズです。」 このカクテルは、キュウリとテキーラとペルノというお酒で出来ているそうだ。
いつもの"謎の声"が、話しかけてきた。 「随分と古いお写真ですね。」 「ええ、祖父は、第二次世界大戦中、バリにいたんです。裏には、"バリ島 華の岬にて 六二"と書いてあります。」 このバーは、 「タンジュンサリホテル」 内のバーだと聞いて、部屋が空いているか訊ねることにした。 「ツインベッドルーム・バンガローがご用意できます。税込み350USドル、朝食付きでございます。いかがなさいますか?」 「お願いします。」
すると、バティック姿の従業員が、歓迎の"ドラ"を鳴らした。 「ようこそ!歓迎のドラをどうぞ。お客様の到着を知らせるドラは、創業以来です。この音を聴いて、スタッフがそれぞれの仕事を始めるのです。」 本当だ。 お部屋の案内係が現れた。
「26B室」。 バリ風の狭いドアを通って中に入る。 「コットンシャツをご用意しております。ホテル内でお使いください。」 ここは、「サヌール」での、最初のバンガロールームで、28部屋ある。
レストランでは、今夜、バリの伝統舞踊のディナーショーがあるとのこと。 予約をお願いした。 敷地内には、 「家寺」 がある。
その先には、 「こちらが、ビレッジ・バンガロー・バルでございます。大勢の有名人の方がお泊りになられました。ミックジャガー様やオノ・ヨーコ様などです。」 「落ち着いた雰囲気ね。天井が凄い!」 「手作業で職人が造っております。」
「天蓋付きの素敵なベッド。」 「休日をゆったり静かに過ごして頂けるように心がけております。」 「奇麗なタイル!」 「オリジナルのオーダーメイドでございます。専門の工場がございまして・・・」 「なるほど。人気があるのが分る気がする。」
「サウス・ガーデン・バンガロー。こちらは、2010年に新調いたしました。一番新しいお部屋でございます。」 「天井が高い!家具も素敵ね。」 「インドネシアのチーク材を使って特注いたしました。・・・このお部屋の特徴は、何と言っても 「光」 かと・・・」
「ここは、バスルーム?」 「脱衣場・・・でしょうか。バスタブは、屋外に設けました。日本では何と申しましたか・・・」 「露天風呂?」 「はい。見て頂きたいのは、化粧台の窓でございます。」 「なるほど、自然光で、お化粧ができるのね。まさにビーチリゾートね。清潔でシンプル。」
ビーチは裏手にあり、表玄関は目立たない。
レセプションは、玄関より、すっごい奥。 「まさに隠れ家ね。」
「Cafe Batujimbar(カフェ・バトゥジンバール)」 のお勧めは、
「ストロベリージュース」。 オレンジもミックスされている。
この界隈は、お客さんの半分以上が欧米人。
クタビーチと違って、大人が多い気がする。
ビーチ沿いの遊歩道をしばらく行くと 「MUSEUM LE MAYEUR(ル・メイヨール博物館)」 がある。 ベルギーの画家、 「アドリアン・ジーン・ル・メイヨール(1000~1958)」 の家が博物館になっている。
ル・メイヨールは、世界中を巡り、50歳を過ぎて、バリに辿り着いた。 そして、バリの女性の日常を描き続けた。 館内には、およそ80点の作品が展示されている。
「ガルーダ・ダンス(1942)」
「窓辺に遊ぶ3人の女(パステル1938)」
上着もつけずに笑いながら遊ぶ女性たち。
1930年代に、ル・メイヨールが見たバリは、こうした人々が暮らす島だった。 その当時、オランダ領だったバリは、神秘の島としてヨーロッパに広く紹介された。 芸術家だけでなく、多くの観光客も、神秘の島・バリに魅せられ訪れていた。
さて、今夜は、 「Mini Rige Rijstaffel(大皿料理)/王様のための宮廷料理」 を頂ける日なんだとか。
まずは、「Arak Madu(アラックマドゥ)」 という飲み物から。
「Botok Tahu(ボトックタフ)/蒸し豆腐」 「Krokodel Kentan Cabe(クロコデル・クンタン・チャベ)/唐辛子にコロッケのようなものを詰めたもの」 「Udang Kecap(ウダン・ケチャップ)/海老のケチャップ煮」
「Satay Lilit(サテ・リリット)/魚のサテ」
そして舞台は、 「Clasical Balinese Dance」 バリの伝統舞踊だ。 ダンサーたちは皆、地元の子供たち。 「創業者は、当ホテルで、バリダンスを教え、未来へ伝えていこうと、1987年から始められたものでございます。月に2度、こうしてディナーの折に、日頃の練習の成果をゲストの方々にご披露させて頂いております。」 「すごい上手!・・・でも発案したオーナーって?」
「タンジュンサリホテル」 の創業オーナー、 「Wija Waworuntu ウィヤ・ワォルントゥ(1926~2001)」 は、母がオランダ人だった。 インドネシア政府の仕事の後、ジャカルタに骨董店をオープンした。 50年前、欧米の友人たちのために建てたゲストハウスのバンガローは、4つだけだったが、口コミで瞬く間に広まり、1962年に 「タンジュンサリホテル」 を創業した。
ホテルの朝食は、マンゴージュース、フルーツ・グラノーラ=「Homemade Granola(ホームメイドグラノーラ)/ヒマワリの種やゴマ、ナッツがたっぷり入ったもの」 にバナナを添え、自家製ヨーグルトと地元の蜂蜜をたっぷりかけて頂く。 焼きたてのパンにも、自家製のジャムを。
シンプルで上質な食器は、 「JENGGALA KERAMIK BALI」 のもの。 1978年に、ホテルオーナーのウィアとニュージーランドの陶芸家が作ったバリの磁器ブランドだ。 現在は、ウィアのお嬢さんの、アデ・ワォ・ルンティが受け継いでいる。
「ようこそ!ジェンガラの初期からのデザインシリーズをお見せしましょう。この人形のデザインは、私たちの会社のロゴになっているもので、バリのお米の神様に由来しています。」
このモチーフから今の人気のジェンガラが始まった。
「Brangipani Collectione(ブランジパニ(プルメリアの花)・コレクション)」 は、バリの自然をモチーフにしている。 折り重なる花びらが特徴的。 温かさが感じられる。 最近では、アーチストとのコラボレーション作品もある。 今のイチオシは、 「Anne Van Botselen(アナ・ヴァン・ボートセレン)」 の 「Fullmoon Collection(フルムーン・コレクション)」。 このモチーフは、空の闇と月の光。 「神様や木をモチーフにしたものとは、また違って素敵。」
工房では、ホテル(他ホテルからも受注)のタイルも焼いている。 「父は、とてもチャーミングな人で寛大な心の持ち主でした。誰でも、すぐに友達になり、どんな時でも誰にでも温かく迎えていました。それが、タンジュンサリホテルに繋がっていったと思います。」
「彼は、芸術を大変、愛していました。彼の人柄に多くの人が惹かれて、沢山の友人ができたんだと思います。」
「あなたは、「ドラ」?」
「はい。電話という煩わしさから解放されます。これも日常をお忘れになりたいと願う、お客様への、ウィヤさまの心配りかと・・・。」
「このホテルは、我が家であり、訪れるゲストは、我が家に招いた親しき友。バリの美しい自然。そして品格とプライバシーの調和が最高の持て成しとなる。ウィヤ・ワォルントゥ」
宿泊料金: サウス ガーデン バンガロー $325 (朝食・税・サ込み)
ツイン ベッドルーム バンガロー $350 (朝食・税・サ込み)
タンジュンサリホテル
ジェンガラ ケラミック バリ
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